Culture shocks 文化基礎

ゲーム、音楽、テレビ、マンガなど文化に関わるものを語っていきます

基礎3 ぼくのゲーム論

こんにちは、はじめましてLac-Qです。

さて、題名に文化基礎と入っているのですが、ここで少し由来について話させてください。多分ほとんどの人がこの記事を見ることはないでしょうが。私はよく人と話すときにアニメやゲームの台詞や設定を混ぜた小ネタを入れて話してしまうクセがあります。自分でも自覚できるほどマニアックなものから笑ってもらえると思ったものまで。でも、意外とどれもこれも通じない。通じないネタを披露する→説明を求められる→説明する→何でそんなこと知ってるの? と、こうなるわけです。そこで私が決まって言うようになったのが「文化基礎」なのです。「まぁ俺文化基礎履修してるから」「文化基礎の先生だからこの程度常識なのさ」そういうわけです。

 

文化基礎の先生として、私も少し講義をしたいとそう思います。ただしあくまでも基礎なので、道を極めた人と比べるのはナシです。

 

 

私はいつも不満に思っていることがある。それは、飯を食べるときにゲームをする人だ。まず一つめの理由。食べ物とゲームの双方に失礼だからということだ。食事というのは当然自分の食欲を満たす行為であるが、人として傲慢ながらも奪った命に感謝をすべきだと考える。「いただきます」「ごちそうさまでした」を言うのはもちろん、その食材、料理、作った人にしっかりと向き合う必要があるのではないだろうか。それをスマホの画面を見続け、口に何が入っていくかも見ずに食事をするというのは、先に挙げた全てに対して失礼であり、侮辱をしているように感じる。野生の動物だって狩りをして、やっとのことで食べているというのに(動物に感情が無いとすればここが人間の傲慢さだが)、食べ物が毎日あると思って文明を造り上げてきた人間が動物以下の行為をするというのは問題である。それと同様な理由でゲームに対しても失礼な行為だ。ゲームというのはどんなものにも作者がいて、時間をかけて創ったものだ。それを食事のついでにやるなどというのはどう考えても納得いかない。そもそも食事のついでで足りるようなゲームは良いゲームなのか。本当に面白いゲームならそれだけに集中したい、他のことなどしていられない、となるのではないか。さらに言えば、ついでの時間を狙うようなゲームの開発はやめるべきだ。私のこの意見はとても前世代的だということもわかっている。わかっているが、あえて言わせていただきたい。隙間時間に簡単にできるようなゲーム、課金をあおりどうすれば貢いでもらえるか考えながら作られたゲーム、終わりの存在しない欠けたゲーム、こんなゲームは飽きられるか、廃人を作るだけで本当のゲーム好きを作ることはできない。(と願いたい)しかし時代の流れで食事&ゲームという構造は多くなっている。忙しい現代人の休息を一度に済まそうという魂胆だ。

ゲームをどの媒体でやるかはもちろん自由だし、スマホゲームも面白いとは思うが食事といっしょにするのだけはやめてほしいと切に願う。